こんにちは♪よっぴです(^^)/
7月26日(金)22時放送予定のガイアの夜明けに出演予定のバルニバービ会長の佐藤裕久氏。
レストランやカフェ、スイーツショップなど外食業を展開し、佐藤裕久氏のブランディングは他とは違い、人の流れが悪い場所、バッドロケーション(悪い場所)をグッドプレイス(良い場所)に変える独自の視点と戦略で、事業展開をしています。
近年は淡路島をはじめ、食と宿を切り口に地方再生に取り組んでいる、佐藤裕久氏の以下のことについて調べました。
◎佐藤裕久氏の実家について
◎学歴(高校・大学)について
◎佐藤裕久氏のwiki経歴プロフィールについて
それでは、みていきたいと思います♪
佐藤裕久wiki経歴プロフィール
名前:佐藤裕久(さとうひろひさ)
生年月日:1961年8月18日
出身地:京都府京都市上京区
職業:実業家
団体:「株式会社バルニバービ創業者」 代表取締役会長CEO兼CCO
「一般社団法人 日本飲食団体連合会」 副会長
「日本ファインダイニング協会(JFDA)」副会長
「GEA地球環境行動会議」委員
「iU情報経営イノベーション専門職大学」超客員教授
佐藤裕久氏は京都府京都市出身です。
1991年に株式会社バルニバービ設立。
阪神淡路大震災をきっかけに『食』のビジネスをスタートしました。
全国でレストラン、カフェ、ホテルを展開し、淡路島・出雲市にて地方再生に取り組んでいます。
佐藤裕久の学歴(高校・大学)
佐藤裕久氏の学歴(高校・大学)をみていきましょう。
出身高校
佐藤裕久氏の出身高校は、東山高等学校です。
出身大学
佐藤裕久氏の出身大学は、神戸外国語大学英米語学科に入学。
退屈な講義には出席せず、入学直後に学生企業を立ち上げて、後に、神戸外国語大学の名物となった「七夕祭り」というイベントを開催したそうです。
1984年1月には、神戸外国語大学を中退します。
同級生にトリドールホールディングス創業者の栗田貴也氏がいます。
佐藤裕久氏が作ったサークルに栗田貴也氏が入部してきたそうです。
経歴
佐藤裕久氏の経歴をみていきましょう。
大学生時代、学生企業を立ち上げイベントなどのプロデュースを手がけたのち、
大阪のアパレル会社に見習いとして入社。
月商30万の小さなショップ(コンテナ)を任されたそうです。
8か月後には月商1000万円、営業利益200万円残し、数多くのマスコミにも取り上げられました。
1987年25歳で独立し、アパレル業を起業しました。
パリの人気ファッションメーカーと独占販売契約を結び、年収2000万円までなり、マンションに住みポルシェに乗るなど成功者となりました。
しかし、27歳の時、大晦日で自宅を火災で全焼、3日後に独占契約を結んでいたパリのブランドが倒産し半年後に会社を手放すことになるも、また悲劇がおそったのは、佐藤裕久氏の親が借金の保証人になってしまい、寝る間を惜しんで働き借金を返済しました。
自宅が全焼して、取引先が倒産・・・!!!そして、とどめは親御さんが借金の保証人になってしまうなんて!!
嫌なことって立て続けに起きますよね( ;∀;)
でも、佐藤裕久氏はそれを乗り越えたんですよね!凄い!!!
1991年30歳の誕生日に「バルニバービ総合研究所」を設立します。
大阪南船場の材木店跡地にブラッスリー「アマーク ド パラディ」を開業し全国に94店舗(2024年6月末現在)のレストラン・カフェ・ホテルを展開中です。
貯金0円という中、20代前半から交友関係のあったキンチョールで有名な大日本除虫菊代表取締役の上山直英氏から500万円借り、「アマーク・ド・パラディ」1号店を出店したのが1995年の34歳の時でした。
当初は赤字だったけど、「合コン試食会」などの企画を立て続けに実施し、収益が上がり始め、6か月目には月商1000万円を突破し、カフェブームの先駆けとなりました。
上山直英氏に借りていた500万円を完済しましたが、「寝ないでよく頑張ったな」と返済した札束をそのままプレゼントされたそうです。
1998年に株式会社バルニバービに組織変更。
順調に、レストラン・バー・ベーカリーなどのお店をお店をオープンしていく。
2006年には、初の著書『一杯のカフェの力を信じますか?』を出版。
2007年には、経営理念を語った『日本一カフェで街を変える男一人、モノ、金が輝くスーパー経営術』を出版。
2016年に地方再生プロジェクト第一弾、滋賀県の大津駅観光案内所「OTSURT」、同駅舎内にカフェ&レストラン「THE CALENDAR」、カプセルホテル「CALENDAR HOTEL」をオープン。
続いて2019年に地方再生プロジェクト第二弾に、淡路島西海岸に3階建て一棟(300席)のレストラン「GARB COSTA ORANGE」を開業し、何もない野原だった所から、2024年現在は年間35万人の人が集まり、10億円を売り上げるまでになりました。
地方再生プロジェクト第三弾は、2023年に島根県出雲市にレストランとホテルを開業し、2024年現在は年間3億円の売り上げ規模となりました。
現在は、一般社団法人 日本飲食団体連合副会長、日本ファインダイニング協会(JFDA)副会長、GEA地球環境行動会議委員、iU 情報経営イノベーション専門職大学超客員教授を兼務。
寝る間を惜しんで借金を返済し、今では億を売り上げるほどの業績を伸ばしているなんて。
佐藤裕久氏の行動力、本当に凄いですよね!!
グループ売上高
133億6300万円(2023年7月期)
佐藤裕久の実家
佐藤裕久氏の実家をみていきましょう。
実家は西陣にある和菓子屋さん「京菓子舗佐藤」を営んでいました。駄菓子に菓子、牛乳やパンまで売っている小さなお店で、小学校から大学入学まで、病気の日以外は、1日も欠かさずお店の手伝いをしてきたそうです。
しかも佐藤裕久氏の父親からは勉強と読書以外、部活動さえも許されなかったと話されていました。
母方の曽祖父は、明治時代初期に「オアシス」という洋食レストランを開業し、その後も手広く商売を広げて京都大学私設応援団長もやっていたそうです。
祖父の代になり、レストラン経営は厳しいということから、菓子屋さんに転業しました。
ご実家も商売をされていたということで、佐藤裕久氏の商売気質は、親譲りなんでしょうね。
まとめ
以上が、佐藤裕久氏の実家とwiki経歴プロフィールをみていきました。
◎佐藤裕久氏は京都府京都市生まれ。
◎1987年25歳で独立し、アパレル業を起業。
◎27歳の時に自宅を全焼し、パリのブランドが倒産し半年後に会社を手放す。
◎親が借金の保証人になり、寝る間を惜しんで借金を返済する。
◎1991年に「バルニバービ総合研究所」を設立。
◎2016年に地方再生に取り組み、レストランやカフェ、ホテルなどを展開する。
◎実家は京都西陣にある、和菓子屋さん。
◎小学校から大学入学まで、病気の日以外は、1日も欠かさずお店の手伝いをしてきた。
第二の故郷ともいえる神戸が震災に遭い、そこで炊き出しを行ったことがキッカケで、
本格的に飲食業へ転機した佐藤裕久氏。
「自分が行きたい店を作る」、「違和感のある仕事はしない」という明確な信念を持ち、地方再生プロジェクトを展開しています。
自分のやりたいことをやって、それが人を幸せにできることを喜べる人生でありたいと語った
佐藤裕久氏のこれからの活躍にも注目していきたいですね♪
株式会社バルニバービ 東京本部
東京都港区海岸3-9-15
https://www.balnibarbi.com
創立:1991年
グループ売上:133億6300万円(2023年7月期)
店舗数:94店舗(2024年6月末現在)
社員619名 アルバイト・委託374名(2024年4月末現在)
(内:グループ社員509名、アルバイト・委託367名)
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