斉藤立(柔道)wikiプロフィールと幼少期は?亡き父との約束と母や兄弟について

アスリート

こんにちは♪よっぴです(^^)/

パリ五輪に出場する柔道の斉藤立さん。父親は、柔道家の斉藤仁さんでオリンピック2大会の金メダリストなんです。

斉藤立さんの父親は、2015年の1月に54歳という若さで亡くなられました。
柔道家として生きてきた父親の跡を息子である、斉藤立さんに受け継がれ、そして『パリ五輪』の代表に選ばれました。

日本初親子2代で『五輪出場』の切符を手にした斉藤立さん。
今回は、そんな斉藤立さんの

◎wikiプロフィールについて
◎斎藤立さんの幼少期について
◎立さんが父親とした約束
◎斉藤立さんの母や兄弟について

調べてみましたので、ぜひ最後までお読みくださいね♪

斉藤立wikiプロフィール

https://www.mbs.jp/jounetsu/2022/10_16.shtml

名前:斉藤立(さいとうたつる)
生年月日:2002年3月8日
出身地:大阪府
身長:191㎝
体重:170㎏
階級:男子100㎏超級
得意技:大外刈り、体落

父親の影響で5歳の時に柔道を始めました。幼稚園の卒園時には体重がすでに45㎏もあったそうです。

https://www.sankei.com/
よっぴ
よっぴ

幼稚園の卒園時で45㎏って、めちゃくちゃ大きい!!!
同い年の子たちの3倍以上!お父さんに似たんだろうね。

斉藤立さん、「正直、柔道が嫌いだった」と当時を振り返り話していました。
厳しすぎる父親の指導は、子どもながらにきつかったのでしょうね!!

お兄さんとも悩みを共有し合い、お父さんからどう逃げ切れるか話したりしていたそうです。
兄弟揃って、厳しい父親の指導が嫌で嫌でたまらなかったんだろうなぁ~!!

母親にも「早く離婚して」と言っていたそうです。

ここみ
ここみ

自分のように息子たちを強くさせたい!!という思いから、
厳しく指導しちゃったんだろうね。愛情があるがゆえに・・・だけど、
幼い子どもたちには分からなかったんだよね~。

斉藤立の幼少期

斉藤立さんの幼少期は、小学生の頃はすごく甘えん坊だったそうです。

何かあれば母親を探すような子どもだったと、斉藤立さんのお母さんが話されていました。
お父さんの練習が厳しいからこそ、お母さんには甘えたかったのかもしれないですよね。

そんな、甘えん坊だった斉藤立さんですが、小学5年生の時、全国小学生学年別柔道大会45㎏超級では3回戦で敗退してしまいましたが、小学6年生で出場した全国少年柔道大会の個人戦で、
全て一本勝ち!!父からの厳しい指導が実を結ぶ結果となりました。

亡き父との約束

斉藤立さんが中学1年生の時に、父・斉藤仁さんは54歳という若さで亡くなられました。
父・斉藤仁さんと最後の約束は『絶対オリンピックに出る選手になるから。
俺、金メダル獲るから』

https://www.chunichi.co.jp/article/462179

斉藤立さんは、2022年の全日本選手権では、3番目の若さの20歳1ヵ月で初優勝父・斉藤仁さんも1988年、全日本選手権で初優勝しているため、史上初の親子優勝となりました。

よっぴ
よっぴ

小さい時から厳しかったお父さんが亡くなって、お父さんの偉大さが日に日に増して分かったんだろうね!お父さんみたいに強くなりたい!っていう気持ちから、ここまで辿り着いたんだろうな。

斉藤立の父・斉藤仁

斉藤立さんの父親は、柔道男子95㎏超級の金メダリスト・斉藤仁さん。

https://www.jiji.com/jc/d4?p=sai120-jpp01970448&d=d4_oo

名前:斉藤 仁(さいとうひとし)
生年月日:1961年1月2日
出身:青森県青森市
身長180㎝
体重:143㎏
階級:男子95㎏超級
段位:九段

斉藤立さんの父・斉藤仁さんは、1984年ロサンゼルスオリンピックと1988年ソウルオリンピック柔道男子95㎏超級金メダリストで、数々の実績を残された有名な柔道家です。

引退後は、国士館大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代監督を務めました。

2013年11月に胆管がんと申告され、闘病生活を送りながらも強化委員長としての役職を果たそうとしていたそうです。 
心配する周囲に対しても、「糖尿病のため」と痩せたことをごまかしていました。
父・斉藤仁さんの周りに対しての気遣いだったのでしょうね。

病状が悪化しても、子どもたちに対しても「お父さん、もう治ったよ。心配しなくていいから」と子どもを思う優しさゆえの嘘に母親も付き合ったそうです。

1年以上の闘病生活の後、2015年1月20日に54歳という若さで旅立ちました。

よっぴ
よっぴ

柔道一筋で生きてきた、斉藤仁さん。本当に偉大な人だよね!!
努力して、努力して金メダルを獲ったお父さんの背中を見て、立さんはそんなお父さんみたいになりたいと、色んな壁を乗り越えてきたんだろうね。

斉藤立の母と兄弟

斉藤立さんの母親は、斉藤恵美子さん、立さんの兄弟は3歳年上の兄、斉藤一郎さんがいます。

母・斉藤恵美子

旦那さんの斉藤仁さんに出会う前は、大学卒業後、エール・フランス航空の客室乗務員をしていたそうです。1997年に斉藤仁さんと結婚されました。

闘病生活を送る、仁さんの様態が悪化して、意識が薄れていく中で恵美子さんは、旦那さんの仁さんにこう誓ったそうです。
「子供たちは、私が立派な柔道家に育てるから…心配しなくていいからね」

斉藤仁さんの妻として、パリ五輪を目指す息子さん・立さんの母として柔道一家を支えてきたに違いないですよね。

よっぴ
よっぴ

お父さんが亡くなった後も、息子さん2人とも立派に育てあげられて、
すごいよね!!立さんが全日本王者になった時は、ものすごく嬉しかっただろうね♪

https://www.sankei.com/

兄・斉藤一郎

斉藤立さんの3つ上の兄・一郎さんは元柔道家で国士館大学で柔道を続けていました。

小学4年生の頃に柔道を始めたそうです。
兄の一郎さんは、立さんと正反対で、体が細く毎試合初戦敗退で終わっていたそうなんです。

しかし、中学に上がるころには、厳しい父親の練習の成果もあり、上位のほうに入るようになりました。上宮高校に進学時には90㎏級のジュニア柔道体重別選手権大阪大会でベスト4に入ったことがあるそうです。

その後は国士館大学へ入学され柔道を続けられていましたが、卒業してからは柔道を引退されました。

兄・一郎さんの現在の職業は、保健体育の教員をされているそうです。
愛知県名古屋市瑞穂区にある、名古屋経済大学高蔵高校で教員をしているとのこと。


そして、2021年から監督を務める柔道部に1年生が11人も入部したそうです。 
監督になって責任感が強くなり、その結果が成果に出たようです

世界のトップを目指す、立さんとは対照的ですが、一郎さんは陰ながら支える柔道魂といった感じがします。

まとめ

今回は、パリ五輪出場の内定が決まっている斉藤立さんのwikiプロフィールと幼少期はどんな子だったのか?亡き父との約束と母や兄弟について、調べてみました。

◎斉藤立さんは5歳の頃から柔道を始めた
◎得意技は、大外刈り・体落
◎小学生の頃は、甘えん坊だった
◎小学6年生の時に出場した柔道大会で全て一本勝ちした
◎立さんが父親に約束したのは「絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから」
◎父親の斉藤仁さんは、95㎏超級の金メダリスト
全日本選手権で史上初の親子優勝
◎母親は斉藤恵美子さん、エール・フランス航空の客室乗務員で務めていた
◎母親の恵美子さんは、旦那さん・仁さんの妻として、子どもたちの母親として
柔道一家を支えてきた
◎斉藤立さんの兄は3つ上で斉藤一郎さん
◎弟・立さんと対照的で、兄・一郎さん体格は細い
◎斉藤一郎さんは、愛知県名古屋経済大学高蔵高等学校の教員

いかがだったでしょうか?
亡き父・斉藤仁さんに「絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから」と約束した斉藤立さん。熱い思いを胸にパリ五輪では、どんな活躍を見せてくれるのでしょうか?

亡き父・仁さんへ最高の報告が出来ることを期待して、みなさんで応援しましょう♪

最後までお読みいただきありがとうございました。

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